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仙台高等裁判所 昭和50年(う)146号 判決 1977年2月24日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤敬寿、同富岡秀夫及び被告人がそれぞれ差し出した各控訴趣意書記載のとおり(但し、被告人提出の控訴趣意書は、事実誤認を主張するものである旨釈明の上陳述した。)であるから、これらを引用する。

一、伊藤弁護人の控訴趣意第二点の一(理由不備の主張)、富岡弁護人及び被告人の各控訴趣意(いずれも事実誤認の主張)について。

各所論は、いずれも要するに、原判決挙示の証拠乃至は原審において取調べた証拠のみをもつてしては、本件被害者らが被告人の仕掛けた本件据銃から発射された弾丸によつて受傷したものと認定することは不可能である。すなわち右証拠を検討すると、本件被害者らが本件据銃の判示銅線に接触した事実はなく、又被害者らの受けた傷害の部位、程度、本件受傷当時の身体の位置や向き、毛蓋(コルス)の飛距離、飛行方向、アイデアル弾の性質、本件据銃の射線等の関係からして本件据銃から発射された弾丸乃至は毛蓋(コルス)が被害者らに命中する可能性は考えられず、被害者渡辺亮の受傷部から摘出されたとする毛蓋(コルス)が本件据銃に込められていたアイデアル弾のものとする原審鑑定の結果には疑問があり、本件現場付近には被害者らの血液痕は発見されていないこと、本件据銃が警察官に発見された当時その用心金付近を縛つてあつた布片は、本件据銃を実際に設置した梅津治の使用したもの(赤色の針金)とは異ること、当時銃声が二発したことを聞いた者があること等が認められるのであつて、これら諸事実によると、本件被害者らの受傷が本件据銃によるものではないことが明白であり、むしろ当時他にも据銃をしていた者もあることから、本件以外の据銃によつて受傷したものと推定し得るのである。しかるに、原判決は、本件据銃から発射された弾丸によつて、本件被害者らが受傷したものと認定して被告人を有罪としたが、その挙示する各証拠をもつてしては前記のように右認定に到達することは到底不可能であつて原判決には理由不備乃至は事実誤認の違法があるというのである。

(一)  よつて審按するに、先ず原判決の挙示する関係証拠を総合すると、以下のような事実を認めることができる。

1. 被告人は昭和三十四年一月頃から福島県耶麻郡猪苗代町字山ノ神原所在の関東ブナ材工業株式会社川上製材工場に工場長として勤務していた者であるが、昭和三十九年十二月二十一日付で東京都公安委員会から狩猟、有害鳥獣駆除の用途に供するための所持の許可を受けて十二番口径無鶏頭元折散弾銃一丁(番号五九〇七、原審昭和四七年押第九号の一、以下「本件散弾銃」と略称し、また物証については同号の一、二等を「証第一号」、「証第二号」等と略記する。)を所有し、狩猟に従事していた者である。

2. ところで右山ノ神原地区内の山林には、従前から熊が出没し、時に人畜等に被害を及ぼすことがあつて、被告人も熊猟の経験を有していたが、本件当時も熊が人家付近にまで現われるとの情報があつたため、被告人はかねてからの猟友で同町内に居住していた梅津治と相談し、同人と共同して熊を捕獲することを企て、山ノ神原地区内で熊の出没しそうな地点を種々検討した結果、本件現場付近に熊の通り道を発見し、両名相謀つてここに所謂据銃を仕掛けて熊を捕獲することとした。

3. 本件現場は、右山ノ神原七千八十二番地の猪苗代町三区林野組合所有に係る山林内にあり、山ノ神原地区をほぼ南北に走行する県道米沢・猫苗代線の「ホテル川上」前付近から西へ直線距離にして約四十五メートルの地点であつて、東方から西方へかけて上り勾配となつている。付近一帯には松等の樹木の外、灌木、つる草、雑草等が生い茂り、被告人らの発見したという熊道は、その繁みの中を山麓(東方)から山頂(西方)へ向かつてついていたが、右熊道と重なるようにして右県道から、本件現場付近で二つに分岐して山頂へ向かう山道があり、山菜、きのこ、あけび等を採取する人の通行路となつていた。本件当時もあけびの採取期で、本件現場付近を通る人のあり得ることは被告人らとしても予想しないではなかつたが、熊を捕獲したい一心で、据銃を仕掛けることとした。

4. そこで被告人と梅津治とは、本件事故当日の午後五時前頃から、本件現場(添付図面(一)<1>点)において、本件据銃をしたのであるが、それは次のようなものであつた。

すなわち、本件据銃を仕掛ける作業には主として梅津治があたつたが、先ず十二番口径アイデアル弾一発を本件散弾銃に装填し、弾丸が前記熊道を横切つて飛ぶようにするため、銃口(従つて射線)をほぼ真北に向け、その銃把を二つに裂いて立てたアカシアの杭(証第三号)に挟んでこれをテレビ用フイーダー線(証第九号)で緊縛し、また銃口部分も二つに裂いて立てた栗の木の杭(証第五号、この杭を証第七号の二又の漆棒で支える。)に挟み、銃口の高さを約三十センチメートルとして手拭を裂いて作つた布片(証第十号のうちの一本)で結束し、銃身がほぼ地面と平行になるように据えつけて固定し、次に銃の用心金の右脇(東側)に角棒(証第四号)を垂直にして立てて布片(証第十号のうちの一本)で銃身に縛りつけ、この角棒を固定軸とし、これを背にして水平に当てがつた細い唐松の棒(証第十一号)を挺子とし、その一端を引金の前面に当て、他端にエナメル線(原判示の「銅線」、証第八号)を結びつける、そしてこのエナメル線(全長約五・二五メートル)を銃の照星にかけて銃口から射線に沿つて一直線に北方に延ばして行き、銃口の前方約四・四メートルの地点に立てた雑木棒(証第六号、以下「標準杭」と称する。)に巻きつけ、地表から約三十センチメートルの高さで地面と平行になるように張り、熊が東西どちら側からでもこのエナメル線に接触して引張ると、右唐松棒が梃子の理により引金を引いて弾丸が発射する仕掛にしたものであつて(その概略につき、添付図面(二)参照)、作業は約二十分で終了した。さらに被告人と梅津治とは、本件据銃を終つた後、同地点から南西へ約六メートル登つた地点(図面(一)<2>点)に、大竹俊八所有の銃を使用して同様の据銃をしたが、その射線は北へ向けられ、本件据銃の射線とほぼ平行するものであつた(以下「第二据銃」と称する。)。

5. 本件被害者渡辺亮(当時十七年)及び磯谷千尋(当時九年)は、本件事故当日の午後六時頃連れ立つてあけびの採取に出かけ、当時既に薄暗くなりかけていたので、磯谷千尋が発電式ランプ(ゼニコン、証第十四、十五号証)を携帯し、ホテル川上前付近の県道から前記山道に入り、渡辺亮が先に立つて右山道を辿りながら山頂方向(西方)へ登つて行き、丁度本件据銃のエナメル線を横切るような角度で進みながら本件現場に到達し、ここで渡辺亮があけびを見つけて採取しようとしたとき、近くで銃声が一発して同人の右足ふくらはぎの部分に強いものが走つて行く感じを受け、手をやつたところ血がついていたため、銃撃されたと知り、「誰だ、出てこい」等と叫んだが全く人の気配は感じられず、他方磯谷千尋は銃声と同時に両膝を射抜かれてその場に膝をつき、立つことができなくなつた。その時の渡辺亮の位置は図面(一)点、磯谷千尋の位置は同図面点であつて、同人は本件据銃の銃口からその射線方向へ約三・五メートル進んだ地点に位置し、渡辺亮は磯谷千尋からほぼ西北方へ約一メートル離れた地点(標準杭の南西側)に立つていた。両名とも本件据銃には全く気づかず、また前記エナメル線に接触した感触もなかつた。渡辺亮は、立てなくなつた磯谷千尋をかついで県道まで降りて行き、そこで救援を求めたので、同人らは間もなく救援者の手によつて同町内の佐瀬医院に収容された。

6. 而して本件事故の発生は直ちに猪苗代警察署に通報され、同日午後七時頃同署捜査員等が本件現場に到着して捜索を開始した結果、先ず本件据銃の銃口から射線方向へ約三・三メートルの地点に、南北約六十五センチメートル、東西約六十センチメートルの範囲にわたる血液飛散個所(図面(一)参照)が発見され、さらにその北北西側に前記エナメル線の巻きつけられた標準杭を発見しこのエナメル線をたぐつて行くことによつて本件据銃が発見された。発見直後の本件据銃の状況は、司法警察員作成の昭和四十四年九月十九日付実況見分調書添付の現場写真12乃至15のとおりであるが、引金は引かれた状況にあり、弾倉内には空薬莢一個(証第二号)が残されているのみで弾頭はなく、明らかに発射されたものと認められた。被告人らが仕掛けた前記第二据銃は、右捜索の際には発見されず捜査員等の引揚げた後同日午後十一時過ぎ頃梅津治、岡村貢らが出かけて秘かに取りはずして持帰つたが、その弾丸は発射されていなかつたことが確認された。なお昭和四十五年十月三日(渡辺亮立会)及び同年十一月二十八日(被害者両名立会)にそれぞれ実施された司法警察員の実況見分の結果によつても、本件被害者らの指示する受傷場所が、本件据銃の射線方向にあつて、右血液の飛散箇所とほぼ一致することが明らかとなつている。

7. 本件被害者らの受けた各傷害の部位・程度は原判示のとおりであるが、医師佐瀬亘が本件事故当日渡辺亮の傷の治療をした際その傷口から摘出した異物二個(証第十二号)を司法警察員菅野実が同医師から任意提出を受けて領置し、後に福島県警察本部刑事部鑑識課科学捜査研究室技術吏員加藤宇作の鑑定したところによると、右異物二個は散弾用送蓋(コロス、所謂コルス)の残渣物で、株式会社川口屋林銃砲火薬店発売にかかる十二番径散弾銃の猟用無煙火薬実砲用の送蓋(毛塞)が二分されたものであることが認められた。

8. 而して被告人と梅津治とは、本件据銃及び第二据銃を据え終つて被告人方で休息していた時、銃声(梅津治は一発であるという。)を聞き、他からの電話で本件事故の発生を知つたが、駆けつけて来た猟友の大竹俊八、岡村貢らとも話し合つた末、被告人が単独で本件据銃をしたことにしてその旨警察官に申告し、原審において取調べた司法警察員作成の緊急逮捕手続書によると、本件事故当日の午後十時四十分頃猪苗代警察署において緊急逮捕せられ、取調の結果、梅津治と共同して据銃をしたとの点を除き、ほぼ全面的に原判示事実を認めるに至つたものである。

(二)  そこで各所論にかんがみ、問題点を順次検討する。

1. 各所論は、先ず、本件被害者らが本件据銃のエナメル線に接触したとの事実は認められず、したがつて、本件被害者らは本件据銃から発射された弾丸によつて負傷したものではないと主張する。

なるほど本件被害者らが、本件事故発生直前に、右エナメル線に接触したという感触を持たなかつたことは前示のとおりである。しかしながら、被告人の検察官に対する供述調書及び原審証人梅津治の供述によると、本件据銃のエナメル線は、昼間であつても、人には容易に気づかれるようなものではなく、またその張り方にも多少の余裕があり、熊がこれに接触すると同時に引金が引かれるほど強くはなく、弾丸が熊の後頭部付近に命中するようにするため、接触して約二十センチメートル位エナメル線を引張りつつ前進した時発射するように張られており、ことに本件据銃の場合前示のように傾斜地に仕掛けられていたため、下から登つて来て右エナメル線に接触した場合には約三十センチメートル位引張られて後に発射する可能性のあつたことが認められ、前示のように当時既に薄暗くなつており、付近には、つる草、雑草、灌木が生い茂つていたこと、被害者らがあけびの採取に気を奪われていたこと等をあわせ考えると、被害者らが右エナメル線に接触したことに気づかなかつたとしても少しも不自然ではなく、単に接触したとの感触がなかつたという事実のみから、所論のように、直ちに接触しなかつたと断定することはできない。もつとも原判決は磯谷千尋においてエナメル線に接触した旨認定しているけれども、この点は前示(一)5認定のような本件事故発生前における被害者らの先後、受傷時の位置関係を総合すると、先ず渡辺がエナメル線にひつかかつてこれを約二、三十センチメートル引張ったとき、本件据銃が発射され、その射線上に位置していた磯谷千尋の両膝に弾丸が命中したと認定するのが相当であるから、原判決はこの点において些か認定の誤りを冒しているけれども、前示(一)の事実関係及び後述の各所論に対する判断から明白なように、右両名が本件据銃によつて受傷したという事実が動かし難い以上、そのどちらが右エナメル線に接触したかは、本件業務上過失傷害罪の成否に何ら消長を来たすものではなく、また量刑について影響を与えるものとも認められない。また原判決は、エナメル線が地上「約三十六センチメートル」の高さに張られていた旨判示しているところ、記録を検討すると、右エナメル線の高さを右のとおり認定できる証拠は、被告人の検察官に対する供述調書(原審記録百六丁裏)を除いては外になく、それにも拘らず原判決が右調書を証拠に引用していないことは判文上明白であるから、原判決にはこの点に認定と証拠との間に一致しない点のあることは伊藤弁護人指摘のとおりである。しかしながら本件において問題となるのは、被害者らの負傷と本件据銃の撃発との間の因果関係の存否であり、この点については前記認定のとおり原判決の挙示する証拠によつてその因果関係を優に認定できるのであるから、エナメル線の高さに所論の誤差があることをもつて、被害者らがエナメル線に接触する可能性を否定する根拠は全くなく、従つてエナメル線の高さの記載が多少不正確であり、若しくはその挙示された証拠と一致しないところがあるからといつて、この誤謬を捉えて原判決を破棄するに足る誤謬とすることはできない。以上の次第であつて、右所論は採用できない。

2. 次に、各所論は、本件被害者らの受けた傷害の部位・程度、本件事故発生時における同人らの体位や向き、アイデアル弾の性質、毛蓋(コルス)の飛行方向、飛距離、本件据銃の射線、所謂楡の木に弾痕のあること等の相互関係からみて、本件被害者らが、本件据銃から発射された弾丸あるいはコルスによつて受傷する筈がない旨縷々主張する。

しかしながら、本件事故発生直前における被害者らと本件据銃との相互の位置関係は前示(一)5のとおりであり、当審における証人渡辺亮、同磯谷千尋の各供述、原審証人梅津治、同岡村貢、同大竹俊八の各供述及び当裁判所の検証の結果を総合すると、散弾用送蓋(毛蓋、コルス)は、火薬の入れ方などによつては、発射後すぐ弾と離れて横へそれて飛ぶこともあり、また弾と離れて飛ぶときでも約十二乃至十四メートル(七、八間)先の獲物に刺さるほどの威力のあること及びその時渡辺亮はほぼ北西側に体を向け、右足を直立させ、左足を前方に折り曲げるような姿勢をとり、磯谷千尋はほぼ西北西側に体を向け、両膝を揃えて直立するような姿勢をとつていたことがそれぞれ認められるから、これによれば本件据銃の射線からみて、本件据銃から発射された弾丸が磯谷千尋の両膝に、また弾丸から分離して斜めに飛ぶこともあるコルスが渡辺亮の右足ふくらはぎに、それぞれ命中したとしても少しも不思議ではなく、また標準杭近辺の灌木等の所論弾痕については、前掲各証拠によれば、本件据銃に使用されたアイデアル弾は何かに当ると三、四箇に割れて、割れ口が剃刀状になる性質があり、本件据銃の標準杭付近の灌木(楡等)に当時残されていた弾痕は、磯谷千尋の両膝に命中して割れたアイデアル弾の弾片(所謂跳弾)によるものと推測されることが明らかであるから、これらの点について所論のような疑念をさし挟む余地はないといわなければならない。更に所論は、磯谷千尋の両膝の傷害の程度の異ることと受傷時同人を診断した医師の所見等に基き、弾丸は同人の右膝から左膝へ貫通したものと断定し、当時の同人の身体の向きから考えて、本件据銃から発射された弾丸によつて受傷したとすれば、左膝から右膝へ貫通しなければならない筈のものであるから、本件据銃によつて受傷したものとは考えられないというが、同人の治療にあたつた医師である原審証人湯浅昭一の供述によると、医学的所見としては、同人の傷害そのものからは貫通銃創であるかどうかの判定すらもつきかね、ましてやその射入口、射出口を確認することはできず、ただ患者やその家族の訴えるところに従つて、カードには右膝から左膝への貫通銃創と記載したにすぎないことが明らかであり、磯谷千尋自身も、原審及び当審において、どちら側の膝を先に射抜かれたかはわからないと供述しているのであるから、同人の傷害の状況並びに右カードの記載をもつて同人の受傷を右膝から左膝への貫通銃創と断定することはできず、結局所論は、その前提において失当であつて採用の限りではない。

3. 伊藤、富岡両弁護人は、原審証人岡村貢、同大竹俊八の各供述によると、本件現場付近に血痕のなかつたことは明白であり、捜査機関において血液型の鑑定、照合を正確に実施した形跡のないことは、右事実を裏づけるに足るのであつて、このことは本件現場において被害者らが受傷したものでないことを証明するものであるというのである。

しかしながら、司法警察員作成の昭和四十四年九月十九日付実況見分調書、原審及び当審証人菅野実、同井上公雄の各供述によれば、前示(一)6に説示したとおり、本件現場に血液の飛散個所のあつたことが明白であり、原審証人岡村貢、同大竹俊八の各供述中右の点に反する部分は、右各証拠と対比して信用し難く、而して原審並びに当審証人渡辺亮の供述によれば、本件事故発生の際、同人の足部から出血があり、下方に向かつて流れおりていたことが認められるので、現場に発見された血痕は同人の血液と推定される。ちなみに、当審において取調べた司法警察員作成の昭和四十四年九月二十二日付鑑定嘱託書及び同月二十九日付鑑定書、当審証人菅野実、同有馬孝の各供述によれば、警察では、前示血液飛散箇所から血液の付着した木の葉を採取してこれを県警本部に鑑定を依頼していたことが明らかで、鑑定の結果右はA型の人血であつたこと、そして捜査官が渡辺亮に血液型を問合わせたところ、同人はA型であると述べていたことが明らかであるから、右各所論もまた採用の限りではない。

4. 次に各所論は、渡辺亮の傷口から摘出されたとする異物二個(証第十二号、コロス)が果して同人の傷口から出たものかどうか疑わしく、また右コロスが十二番径散弾用の送蓋(コロス)であるとする原判決引用の警察技術吏員作成の鑑定書は、その内容からみて信用し難いという。しかしながら、原審記録中の司法警察員作成の昭和四十四年九月十八日付捜査復命書、医師佐瀬亘の同日付任意提出書、司法警察員作成の同日付領置調書(甲)、昭和四十六年十一月十二日付鑑定嘱託書(但し、同書中の、右異物二個が「磯谷千尋」の傷口から摘出された旨の記載は、明らかに誤記と認められる。)の各記載によれば、右異物二個が渡辺亮の傷口から摘出されたものであつて、これが鑑定嘱託されたものであることには疑を容れる余地がなく、また右警察技術吏員の鑑定の結果は、本件異物と二種類の対照資料(川口屋林銃砲火薬店発売にかかる詰替用送蓋二種)との、色相、明度、彩度、重量、直径、毛質の種類を詳細に比較検討した後に出されたものであることは、鑑定書の記載自体から明らかであつて信用するに足りる。右各所論も採るを得ない。

5. 伊藤、富岡両弁護人は、本件事故発生当時銃声が二発した事実があるとし、これをもつて本件事故が本件据銃以外の据銃によつて発生したとする根拠にするのであるが、右に副う如き証拠を検討してみるに、原審証人大竹俊八は、被告人や梅津治から銃声が二発したと聞かされたとか(原審記録二百六十丁)、あるいは部落の人で二発聞いた者があるということを耳にした旨(同二百六十七丁)供述し、また被告人も、原審公判廷において、銃声が二度したということを指摘する人があると述べ(同三百八十七丁)、あるいは自らも三、四分の間隔を置いて銃声らしいもの二発を聞いた(四百五十二丁裏、四百五十三丁)等と供述しているに過ぎないのであつて被告人自身も、銃声二発を聞いたという第三者の氏名を具体的に指摘し得ないのであるから、これらの証拠をもつて二発の銃声を確定することはできず、却つて原審証人梅津治、同渡辺亮、同磯谷千尋の各供述によれば同人等は当時銃声は一発だけしか聞いていないことが明らかである。弁護人の右各所論も採用の限りではない。

6. 各所論は、要するに、梅津治は本件据銃に際して、その銃口を栗の木の杭(証第五号)に結束し、また角棒(証第四号)を用心金の部分に結束するのに、いずれも「赤い針金」を使用したものであるところ、本件事故発生直後の本件据銃は右各部分がいずれも「布片」(証第十号)で結束されていたというのであつて、このことは被告人らが本件据銃をした後に、第三者がこれに手を加えて発射したことを意味するにほかならず、渡辺亮らが本件据銃によつて負傷したものではないことが明らかであるというのである。

梅津治が、原審第五回公判廷において、右各部分を「赤い針金」で縛つた覚えはあるが、布片(証第十号)で結束した記憶はない旨証言していることは所論のとおりであるが、右証言は被告人の司法警察員に対する昭和四十四年九月十九日付供述調書及び司法警察員作成の同日付実況見分調書と対比して措信し難く、その他記録を精査しても、本件据銃を仕掛けた後、本件事故発生までの間(一時間足らずの間)に、何者かが本件据銃を操作したことを窺わせる資料は全く無いのであつて、右所論は採るを得ない。

7. 各所論は、結局本件被害者らは、本件据銃ではなく、別な据銃によつて負傷したものであるというのであるが、前示のように本件据銃と一緒に仕掛けられた第二据銃は発射されておらず、その他本件記録を精査しても、本件現場付近に、右各据銃の外に、本件事故発生と直接結びつけられる可能性のある据銃が仕掛けられていたとの事実は全く認められず、銃声は一発であつたこと、本件据銃が発射されていたこと等叙上の事実関係からして、本件被害者らが、所論のように、本件据銃以外の据銃によつて負傷したとする可能性は全くない。右所論は根拠がなく採用できない。

(三)  以上の次第であつて、前示(一)認定の事実によつて考察すれば、原判示のとおり、渡辺亮らが本件据銃によつて負傷したことは明白であり、各所論は、結局独自の見解に立つて原審が適法になした証拠判断を非難し、原判決の理由不備乃至は事実誤認を主張するに帰するのであつて、到底採用するに値せず、原判決には各所論のような違法の廉は存しない。論旨は理由がない。

二、伊藤弁護人の控訴趣意第二点の二(法令解釈適用の誤の主張)について。

所論は、要するに、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(以下「鳥獣保護法」と略称する。)第十五条は、据銃等同条所定の手段を使用して鳥獣を「捕獲」してはならない旨規定しているが、同法は鳥獣保護のために同条と同様な種々の「捕獲」禁止規定を設けているほかに、「銃猟」を禁止したり(同法第十六条)、「狩猟」を禁止したり、(同法第十七条、第十八条)しているのであつて、右「銃猟」あるいは「狩猟」を禁止する規定の趣旨が、銃猟行為あるいは狩猟行為そのものをも禁止するものであることはいうまでもないから、これらと区別して規定されている「捕獲」とは、単なる捕獲行為そのものを含まず、狩猟鳥獣を現実に自己の実力支配内に入れ得る状態を生じさせたことを意味するものと解するのが相当である。けだし、もし右にいう「捕獲」が捕獲行為をを含むものとすれば、銃猟行為あるいは狩猟行為もすべて捕獲行為に外ならないから、前記のような「捕獲」、「銃猟」、「狩猟」等の区別をする必要はなく、一律に「捕獲」を禁止する旨を規定すれば足りるということにならざるを得ないからである。しかるに、原判決が同法第十五条にいう捕獲には、単なる捕獲行為をも含むとして、被告人の本件据銃行為を同条に該当すると解したことは、法令の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

そこで審按するに、同法にいう「狩猟」とは、法定の猟具を使用して狩猟鳥獣を捕獲することをいい(同法第三条、同法施行規則第六条)、また「銃猟」とは銃器を使用する鳥獣捕獲方法を指称するものであつて、これらはいずれも同法にいう「捕獲」の概念に包摂されるものであり、換言すれば、狩猟、銃猟は捕獲のうち一定の用具を使用する場合を特に区別して呼称したにすぎず、捕獲には右以外の方法をもつてする場合をも含むものであるから、所論のように「捕獲」とは区別して「狩猟」あるいは「銃猟」が禁止される場合のあることをもつて、直ちに、「捕獲」には所謂「捕獲行為」は含まれないとする根拠はなく、「捕獲」の概念の解釈適用にあたつては、当該法規の趣旨、目的、保護法益、行為の性質等にかんがみ、合目的的、合理的に解釈すべきものである。

よつて同法第十五条にいう「捕獲」の意義について考えてみるのに、同条は、「爆発物、劇薬、毒薬、据銃又ハ危険ナル罠若ハ陥穽」を使用して鳥獣を捕獲することを禁止しているが、その趣旨、目的は、法文に列挙された捕獲方法自体からも窺われるように、その手段において人畜に危険の及ぶ虞れの極めて高度な猟法を禁止し、もつて人の生命あるいは身体等に対する危害を予防し、公共の安全を維持することにあるというべく、例えば本件のように「据銃」をすることは鳥獣のみではなく、山野を歩く人間が誤つてその装置に触れて死傷する危険が極めて大であることから、かかる方法をとることを禁止しているのである。したがつて、それは具体的危険の発生の有無を問わず、同条所定の禁止行為は抽象的・一般的に人畜に危険を及ぼす虞れがあるものとしてこれを絶対的に禁止した所謂抽象的危険犯であるということができる。右見地からすれば、同条にいう「捕獲」を、所論のように、狩猟鳥獣を現実に自己の実力支配内に入れ得る状態を生じさせたことを意味すると限定すべき合理的理由はなく、同条に規定する捕獲手段をとること自体、すなわち本件についていえば、据銃をすること自体が禁止されているものと解するのが相当である(例えば大審院昭和十八年十二月二十八日判決、大審院刑事判例集第二十二巻三百二十三頁、最高裁判所昭和四十六年十一月十六日判決、最高裁判所刑事判例集第二十五巻第八号九百六十四頁参照)。そうだとすれば、被告人の本件据銃行為が、同条にいう「据銃」による捕獲行為であることは明らかであつて、同条に違反することは否定できない。所論引用の各判例は事案を異にし本件に適切ではなく、その「捕獲」に関する解釈も当裁判所の採るを得ないところであつて、論旨は理由がない。

三、伊藤弁護人の控訴趣意第三点(審理不尽に基づく理由不備の主張)について。

所論は、原審の取調べた証拠のみをもつてしては、本件被害者らの受けた各傷害が、被告人の仕掛けた据銃によるものと断定することはできず、被告人を有罪とするためには、本件被害者らの受傷の部位、程度等にかんがみ、本件据銃の位置、銃口の向けられた方向と本件現場における被害者らの体位、身体の向き、現場付近にある弾痕の認められる楡の木の位置と距離、弾痕の形状(これらは、原判決の援用する司法警察員作成の各実況見分調書中にも明らかにされていない。)、血痕の位置等を確認してその結果から本件被害者らの受傷が本件据銃によるものであることが証明されなければならず、そのためには原裁判所は須く本件現場を検証し、右の諸点を実見すべきであつたのにも拘らず、原審第二十二回公判廷において弁護人の検証申請を却下し、これらの点について何ら審理をなさずして被告人を有罪とした原判決には、審理不尽に基づく理由不備の違法がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の証拠によつて原判示事実を認定できることは先に説示したとおりであるから、原審が弁護人申請の検証を採用せず、これを実施しなかつたからといつて、所論のような審理不尽に基づく理由不備の違法があるということはできない。論旨は、理由がない。

四、伊藤弁護人の控訴趣意第一点(釈明権不行使による審理不尽の主張)及び同第四点(理由不備の主張)について。

所論は、先ず、本件起訴状によれば、本件公訴事実として「被告人は……梅津治と共に昭和四四年九月一八日午後五時ころ耶麻郡猪苗代町字山ノ神原七〇八二の山林において、猟銃を用い熊を捕獲しようとしたが、……(以下略)」と記載されているのであるが、右表現のみをもつてしては、検察官が本件を被告人と梅津治との共同正犯として起訴した趣旨なのか、それとも被告人の単独犯行として起訴としたものであつて右「梅津治と共に」云々は単なる動機乃至は情状として記載したものにすぎないのか明確を欠き、そのいずれとも弁別することは困難であるから、訴因として特定不十分と云わざるを得ず、従つて原審としては須くこの点を釈明して単独犯か共同正犯かを明かにした上実質審理に入るべきであつたにも拘らず、かかる措置を採らず、漫然審理を進めて起訴状記載の公訴事実どおりの事実を認定して被告人を有罪としたことは、釈明義務を尽さないで判決をした審理不尽の違法がある、というのである。

よつて考えるのに、本件起訴状記載の公訴事実には所論指摘のような表現があり、また記録を調査しても原審が右の点について検察官に対し、被告人が梅津治と共謀の上本件犯行に及んだという趣旨なのかどうかについて釈明をした事実の認められないことは所論のとおりであつて、本件起訴状の罪名罰条欄には刑法第六十条の記載がないことと相俟つて、一見したところでは所論のような疑義が生じ得ないわけではない。しかしながら、本件公訴事実の記載を仔細に検討すれば、右「梅津治と共に」という表現が以下全文に係るものであることは行文上自ら明らかであり、而して二名の者が同一の日時場所において熊を捕獲するために「共に」据銃をした結果人に傷害を負わせた旨の記載があれば、他に格別の説明が附されていない限り、それを共同で行つたことを現わしたものと解するのが、相当である。もつともこのような場合にも通例正確を期し疑問の余地を残さぬように「共同して」とか或は「共謀の上」等と明記し、また罰条欄にも刑法第六十条を摘示しておくべきであり、また裁判所としてもこの点について釈明しておくのが望ましいことではあるが、しかし偶々これを記載しなかつたからといつて直ちに共犯の摘示がないとか、裁判所として釈明義務を怠つたとして論難すべきものではない。これを本件についてみるに本件起訴が故意犯である鳥獣保護法違反(同法第十五条・第二十一条第一項第一号)の事実(共同正犯)と業務上過失傷害の事実(所謂過失共働)とが観念的競合の関係にあるものとしてなされていることは公訴事実の記載によつて自ら認められるところであるから、過失犯について理論上共同正犯の成立を認めない以上原審には所論のような釈明義務を怠つた審理不尽の違法があるということはできない。

次に進んで、所論は、原判決は本件犯行は被告人が単独で敢行した旨判示するが、原判決挙示の証拠中原審公判廷における証人梅津治及び被告人の各供述を総合すると、本件据銃は被告人と右梅津治とが共同してなしたことが明白であり、その態様からして右梅津治が正犯、被告人が幇助犯という関係にあつたもので、しからずとするも、少くとも右両者は共同正犯と目すべきところ、原判決が本件を被告人のみの責に帰せしめたことは、認定事実と証拠との間にくい違いがあるものとして理由不備の違法がある、という。

前示一説示のように、本件据銃は被告人と梅津治とが共謀して仕掛けたことが認められることは所論のとおりである(なお所論は梅津治と被告人とは、正犯と従犯の関係にあつたというが、かかる関係にあつたことを肯認し得る証拠はない。)が、原判決は罪となるべき事実として、「被告人は、昭和三九年一〇月二一日付で東京都公安委員会から銃砲所持許可を受けて散弾銃を所持し、狩猟に従事していたものであるが、梅津治と共に昭和四四年九月一八日午後五時ころ、福島県耶麻郡猪苗代町字山ノ神原七〇八二番地の山林において、猟銃を用い熊を捕獲しようとしたが、……(以下略)」と判示しているのであつて、その表現は場所の記載に「福島県」を加えたほかは、本件起訴状記載の公訴事実と全く同一であり、右「梅津治と共に」という部分が以下全文に係ることは判文上自ら明白であるというべく、従つてその挙示する証拠と相俟つて、原判決が、本判公訴事実と同様に、本件を鳥獣保護法違反の点につき共同正犯、業務上過失傷害の点につき所謂過失共働を認め、両者は観念的競合の関係に立つとしていることは、前段説示と同様の理由により明らかであるから、所論の非難は当らない。もつとも原判決も、法令の適用に当つて、鳥獣保護法違反の点について刑法第六十条を摘示していないけれども、その事実理由において「梅津治と共に」と判示して同条を実質的に適用していることが判文上明らかであること前示のとおりであるから、形式的にはその適用を明示していないからと云つて、所論のように直ちに被告人の単独犯行と認定したものということはできない。してみれば原判決には所論のような理由のくい違いがあるとはいえず、所論引用のこの点に関する判例はいずれも事案を異にし、本件に適切でない。論旨は理由がない。

五、伊藤弁護人の控訴趣意第五点(量刑不当の主張)について。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当であり、被告人に対しては罰金刑をもつて処断すべきである旨縷々主張するが、本件事案の内容は前示のとおりであつて、人家も近く、人の通行も予想される場所に、敢えて法の禁止する危険な据銃を仕掛け、その結果当時未だ小学生、高校生にすぎなかつた本件被害者らに原判示のような重軽傷を負わせた本件犯行は悪質というほかはなく、しかも本件据銃は被告人と梅津治とが共同して仕掛けたものであること叙上説示のとおり明白であり、梅津治は夙にこれを認めて争わないにも拘らず、被告人は自己の非を認めようとせず、種々の口実を設けて責任を回避することに汲々とし、何ら反省悔悟の色が窺われないのであつて、本件事故発生後既に七年有余を経過してなお示談成立せず、被害弁償も殆んどなされていないこと、本件被害者らにはそれぞれ後遺症のあること等記録に現われた諸般の情状を総合すると、被告人の刑責は重く、被告人には前科のないこと等被告人に有利な情状を斟酌しても、原判決程度の量刑は止むを得ないところであつて、不当に重いものではなく、ましてや罰金刑を選択すべき事案であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り、本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用は、同法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

図面(一)

<省略>

図面(二)

<省略>

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